「プラテーロ」

 プラテーロは小さくて、毛並みが良くて、フワフワな僕のロバ。まるで綿のようにやわらかで、骨なんかないみたいだ。でも、その黒いガラスのような目だけは硬そうで、まるで二匹のコガネムシみたいに光っている。

 手綱をはなすと、彼は野原へ行って、鼻先でピンクや青、黄色の小さな花々にそっと触れていく。僕が「プラテーロ!」ってやさしく呼ぶと、嬉しそうに軽い足取りでこちらに駆け寄ってくる。何とも言えない、心地よい鈴の音を響かせながら。

「アンジェルス、祈りの鐘」

見てごらん、プラテーロ。あたり一面にバラが降ってくるよ。青いバラ、白いバラ、透明なバラも……まるで空がバラになって崩れ落ちてくるみたいだ。僕を見てごらん。顔も、肩も、手も、バラでいっぱいだよ……こんなにたくさんのバラを一体どうしたらいいんだろう?!

プラテーロ、アンジェルスの鐘が鳴る間、僕の精気は薄れていくんだ。その代わりに、もっと気高く普遍的で、清らかな力が内側から湧いてくるのを感じる。それが、命の泉のように、万物を昇華してくれるんだ。バラの中できらめく星々に向かって……

とめどなくバラは降り注ぐ…プラテーロ、君には見えないけど、穏やかに天を見上げる君の瞳もまた、二輪の綺麗なバラだよ。

朝のまどろみの中、僕は子どもたちの騒々しい声で不機嫌になった。もう眠ることはあきらめて、がっかりした気分でベッドから起き上がる。ところが、開け放った窓から外を眺めてみると、うるさくしていたのは子どもたちではなく、小鳥たちだったことに気が付いた。

庭に出て、晴れの日を与えてくださった神様に感謝の歌を捧げる。なんて自由な小鳥たちの合唱なんだろう。さわやかで果てがない!ツバメは気ままに井戸でさえずり、ウタドリは落ちたオレンジの上で口笛を吹いている。ツリスドリはナラの木を次々に飛び回りながら、火を吐くようにしゃべり続け、マヒワはユーカリの木のてっぺんで、長くケラケラと笑っている。そして、大きな松の木ではスズメたちがあれやこれやと言い争っている。

憂愁

午後は子どもたちを連れて、プラテーロの墓を訪ねた。墓はピーニャ農園の中、まん丸とした守り神のような松の木の根元にある。そのまわりでは、見事な黄色い百合の花々が四月の湿った大地を彩っていた。見上げると、空はどこまでも青く、小鳥のセリン達は緑の茂みで歌い、そのさえずりは温もりをまとった金色の午後の空気に溶け込んでいく。まるで鮮やかな新しい愛の夢のように。

子どもたちはお墓に近づくと、騒ぐのをやめた。身動きもせず、真剣な面持ちで、その輝く瞳は私を見つめた。そして彼等の不安な問いかけに、私の胸はいっぱいになった。
「我が友、プラテーロ!」私は土に向かって語りかけた。「もし、僕が思い浮かべるように、今おまえが天国の草原にいて、その毛むくじゃらな背中に若い天使たちを乗せているとしたら、僕のことはもう忘れているかな?プラテーロ、教えてくれよ。まだ僕のことを覚えているかい?」

「11月の田園詩」

日が暮れる頃になると、プラテーロは竈にくべる薪を背にして野から帰ってくる。その姿はしおれた草束にほとんど埋もれてしまいそうだが、足取りは小刻みに揃い、まるでサーカスの綱渡りをする若い女性演者のように、精妙でありながらも遊び心を感じる。本当に歩いているのかと目を疑うくらいに。また両耳をピンと立てると、その姿はまるで自分の家を背負ったカタツムリのように映る。

ひんやりとした甘美な紫の光が一面を照らす。12月にさしかかった草原にいる、この荷を担いだロバの控えめな姿は、昨年と同様に、次第に頼もしさを増していくのである…。

ツバメたち

プラテーロ、今年もツバメたちがやってきたよ。それなのに、ほとんど気配がしないんだ。いつもだと、着いたその日は社交儀礼。そしてあたりをキョロキョロすると、喉を震わせて、とめどなく仲間達と話をしていたね。

彼らは途方に暮れているみたいだよ。無口に飛び回り、まるで子どもたちに地面を蹴られたアリみたいに戸惑っている。ツバメたちは、奥に飾りのある、あのずっと真っ直ぐなヌエバ通りですら飛ぼうとしない。井戸にある古巣にも戻ろうとしない。北風がゴーゴーと音を立てる電線にも彼らの姿はない。だから、碍子(がいし)に居並ぶ郵便屋さんみたいな、彼らの雄姿も見られないんだ。プラテーロ、このままだとツバメたちは寒さで死んでしまうよ!

(碍子=送電線に付けられている白いセラミックの絶縁体)

子守り娘」

炭焼きの娘は、愛嬌があるが、いつもすすけていて、まるで使い古しの硬貨のようだ。その瞳は黒くキラキラと輝き、血色の良い引き締まった唇はすすで覆われている。

娘は粗末な小屋の戸口に瓦を敷いて座り、弟を寝かしつけている。

母になったつもりで、炭焼きの娘はやさしく歌う。

 「ねんねん、ぼうや、お眠りなさい
  マリア様のご加護の中で…」

 一呼吸。風が木々の梢を揺らす…。

 「ぼうやが眠るころには
  子守り娘も眠ってしまうよ…」

風が吹く。プラテーロが焼けた松の木々の間を呑気に歩いていると、彼は次第に足を止め、灰色の土の上に横たわり、母が歌う冗長な子守唄を聴きながら、まるで子どもみたいにうとうとし始めた。



カナリアが飛んだ」

ある日、若草色のカナリアが、どうやったのかどうしてなのかわからないけれど、鳥かごから飛び出した。実はこのカナリアは年老いていて、知り合いの女性の形見として引き取ったが、僕はかごから出すことはしなかった。飢え死にしたり、寒さで死んだり、猫に食べられやしないかと心配だったから。

あの日は朝からずっと、菜園にあるザクロの木や、門のそばの松の木、そしてライラックの花の上を飛び回っていた。子どもたちも午前中はずっと縁側に座り、オリーブ色の小さな鳥がちょこちょこと飛ぶ姿を眺めては夢中になった。

以上、詩集「プラテーロとわたし」より
イラストは、画像生成AI「Dall-E3」にて作成

詩集「マテリア」ヨランダ・カスターニョ (1977-) Materia Yolanda Castaño
音楽「3つの古い歌」マリア・メンドーサ (1975-) Tres Cantigas María Mendoza

  愛の小鳥の歌  
   運命の幸せよ
   私の愛しい小鳥、
   扉を開けば開くほど
   ますます家に帰りたがる。

音楽 i ) ヴィーゴの波 Ondas do mar de Vigo

  できること、できないことの歌 
   祖母は仕立て屋なのに、私は縫えない。
   祖父は石工なのに、私は彫れない。
   叔父は水脈を探せるのに、私は見つけられない。
   父は船乗りだったのに、私は航海できない。

音楽 ii ) 我とともに送らん Mandad’hei comigo

  商船の水夫の歌 
   父は働きに出て行った
   そして30年後に戻ってきた。
   時間のオールは
   逆に漕がれた。

音楽 iii ) 我が美しき妹 Mia irmana fremosa

以上、音楽「3つの古い歌」マリア・メンドーサ

詩集「マテリア」より ヨランダ・カスターニョ (1977-) Materia Yolanda Castaño
音楽「ガリシア幻想曲 」作品79番 ファン・ドゥラン (1960-) Juan Durán


 4月19日
  春の一日一日は
  不可逆な行為だ。
  私たちはこの文法の中にいる、
  この夕方に4月があるように。

音楽 i ) 暁の歌

音楽 ii ) ムイニェイラ

 もどかし
  私はあなたの手を引くことができない、
  またあなたも私の手を取ることができない。
  あなたにブラインドを開けてあげることもできない。
  日曜日の正午に

音楽 iii ) 子守歌

音楽 iv ) フォリアダ

 迷い 
  向こう側には鳥の国がある
  もし君が移民として旅立つ決心があるのなら。
  そうだ ― 私は言う ―
  もう二度と戻ることはないだろう
  儚ない祖国の黄金色の海には。

音楽 v ) アララ

音楽 vi) パンデイラーダ

以上、コンサートプログラム

解説

詩人 ファン・ラモン・ヒメネス(1881-1958)
 スペインの著名な詩人で、1956年にノーベル文学賞を受賞しました。彼の詩は、繊細な自然描写や感情表現、そして内面的な探求に特徴があります。ヒメネスは人生を通じて詩的な自己探求を続け、初期の作品では象徴主義の影響を受けながら、晩年には精神的で哲学的な要素が強まっていきました。彼の代表作であり、世界中で愛されている作品が『プラテーロとわたし(Platero y yo)』です。これは詩的な散文作品で、1914年に初版が発表されました。

『プラテーロとわたし』の概要
 この作品は、主人公である「私」と彼の愛する小さなロバ、プラテーロとの日常を描いた物語です。物語の中で、ヒメネスはアンダルシア地方の美しい自然や村の日常風景を詩的に表現しながら、人生の儚さ、孤独、純粋さといったテーマに触れています。『プラテーロとわたし』は、単なる児童文学の枠を超え、あらゆる年齢層に感動を与える作品となっています。特にその詩的な文体は、読者に優しく語りかけるような感触を与え、彼の哲学的な視点と自然への愛が随所に見られます。

詩人 ヨランダ・カスターニョ (1977-)
 スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラで生まれたガリシア語とスペイン語の詩人です。彼女は、言語、アイデンティティ、フェミニズムなどのテーマを革新的に表現する詩作で知られています。30年以上にわたって活躍し、数々の詩集や文学賞を受賞しています。特に2023年には詩集『マテリア(Materia)』でスペインの国民詩賞を受賞しました。

マテリア』は、家族や記憶、アイデンティティといった個人的でありながら普遍的なテーマを掘り下げた作品集です。この詩集では、家族の支えと抑圧の両面に触れつつ、愛と緊張が交錯する家庭の様子が描かれています。詩の中で彼女は、物質の比喩を用いて複雑な感情の風景を描写し、家族の絆に対するオマージュと批判を表現しています。また、前衛的な影響を受けたこの詩集は、既存の構造や慣習に挑み、新たな視点で人間関係を問い直す内容となっています。

作曲家 マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(1895-1968)
 イタリア生まれの作曲家であり、主にギター音楽で知られています。彼は、20世紀初頭から中頃にかけて活動した作曲家で、クラシックギターのための作品や映画音楽の作曲でも有名です。ユダヤ系イタリア人であったため、第二次世界大戦中にアメリカへ亡命し、ハリウッドで映画音楽の作曲家としても成功しました。彼の音楽は、リリカルでロマンティックなメロディーと、独自の詩的感覚を持ち合わせています。

作曲家 マリア・メンドーサ (1975-)
 スペインのオビエドで生まれたピアニスト兼作曲家、音楽教師。彼女は4歳の頃からピアノを学び始め、ビルバオの高等音楽院でピアノと室内楽の上級課程を修了しました。その後、ガリシアに移住し、ビゴ高等音楽院で作曲の勉強を続けました。
 彼女の音楽活動は教育、作曲、演奏の3つにわたります。教育者としてはオウレンセ音楽院で作曲の教授を務め、作曲家としてはピアノや室内楽の作品、宗教音楽、アニメーション映画の音楽など、多岐にわたるジャンルで作品を発表しています。また、演奏者としてもクラシック音楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを持ち、特にその多才さが評価されています。

作曲家 ファン・ドゥラン (1960-)
 スペインのビゴで生まれた現代の作曲家で、ガリシアの音楽界で重要な役割を果たしています。彼は室内楽、声楽、交響楽、そしてガリシアの伝統音楽の編曲やオーケストレーションに幅広く取り組んでおり、多くの受賞歴を持ちます。彼の作品には、交響曲やオペラ、合唱作品が含まれ、その中でも特に「O arame」などが注目されています。彼は音楽教育にも携わり、ガリシア地方の音楽文化の振興に尽力しています。



出演者 ギタリスト ホセ・マヌエル・ダペナ

 スペイン出身の著名なクラシックギタリストであり、彼の演奏スタイルと音楽的アプローチは高く評価されています。彼はギターの演奏だけでなく、音楽教育者としても知られています。

 ダペナはスペインでギターの初歩を学び、後にデイヴィッド・ラッセルに師事しました。彼はその後、世界中で数多くのコンサートを行い、特に米国のカーネギーホールでのデビューが注目されました。近年、彼の演奏スタイルを反映した2つのCDをリリースしています。「Rincón mágico: Complete Turina works」と「Al pie de una guitarra: Guitar music inspired by poetry of Miguel Hernández」がその作品で、特に後者は詩と音楽の関係を探求した内容です。また、彼はギターに関する書籍や雑誌に取り上げられ、広く評価されています。

 彼の音楽的アプローチは、情感豊かな演奏と技術的な精密さに特徴づけられています。ダペナは、ギターの音色に魔法をかける能力を持つプレイヤーと見なされており、彼の演奏は観客に深い感動を与えています。

出演者 翻訳・朗読・司会 吉住和宏

 フェルナンデス・ギター・エンジニア・スクールでギター製作を学び、留学先のスペインにて巨匠「ホセ・ルイス・ゴンザレス」に師事し、強い影響を受ける。現在は自身のギター教室を運営する一方で、海外の一流音楽大学のギタリストを招聘し、最新のギター音楽事情を日本のギターファンに届けている。

 スペイン語の教師としても20年以上の実績を持ち、来日アーティストの通訳を多数こなす。翻訳家としては、伝説のギタリスト「アグスティン・バリオス・マンゴレ」を扱った、パラグアイ映画「マンゴレ」の日本語字幕を作成している。